SMを軸にして、気持ちの良いセックスについて纏めます。

仙台 ぶり子

秋田出身・仙台在住。日本酒オタクです。毎日3合くらい呑みます。
現在酒は太るのか検証しながらダイエット中!記事で結果公開していきます。とりあえずは60kg→53kgへの減量が目標♪

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前回は下ネタについて書きました。
今回はセックスについて書いていこうと思います。



先日、SNSでのやり取りで、Sか、Mか、というような話になりました。

S・Mは、性の話題としてはいちばん口にしやすい単語のようで、その単語は普段下ネタを言わない方からも聞くことができます。


今回はSMを軸として、【気持ちの良いセックスとは?】という問いへの答えを書いていきたいと思います。







SとはもともとSM行為を行っていたとされ、嗜虐性向( 人や動物に対して苦痛を与えることを好むこと )の強い小説家であるマルキ・ド・サドの名前が由来であり、Mとはレオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホという作家の小説と嗜好を元にした単語です。

Mについてはマゾッホの【毛皮を着たヴィーナス】を読んでいただきたいと思います。 (谷崎純一郎の痴人の愛もM的です)

また、サドは彼自身が性的暴行で死刑判決を受けており 【ソドム百二十日(淫蕩学校)】など性的に残虐な作品も残しています。


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S・Mの解釈は一般に人によって違いがあり関係によっても多岐にわたるので、恋愛関係においてのSMについてわたしなりの見解を書きます。


精神的S・M

精神的に、苦痛を与えて快感を覚えるS
精神的に、苦痛を与えられて快感を覚えるM

肉体的S・M

肉体的に、苦痛を与えて快感を覚えるS
肉体的に、苦痛を与えられて快感を覚えるM


S・Mと一言で表してしまうとだいたいは受け取る側の性的嗜好やイメージにより、発した側の思うS・Mとは違う形で解釈されるでしょう。精神的S・Mと、肉体的S・Mの割合、度合いはさまざまです。


S・Mを結び合わせてみましょう。

S→M

Sが精神的に苦痛を与える→Mは快感を得る
Sが肉体的に苦痛を与える→Mは快感を得る


Sが精神的苦痛を感じさせようとしても、Mは結果的に喜んでしまいます。

これではSにとってはただのSMごっこです。

Mは相手に喜ばれるために苦痛を与えられ、喜んでもらえたことに快感を得ているか、自分の欲求を満たされて快感を得ています。


Sは純粋な苦痛を与えることが出来ないため、快感を覚えることはできません。

しかし、Sが快感を得るために喜びの無い精神的・肉体的苦痛を相手に感じさせてしまっては恋愛関係は成立しません。場合によっては犯罪となるでしょう。


これはマルキ・ド・サド的嗜好ではないかと感じます。

これを成立させるために、わたしが思いつく限りではひとつ、このような方法があります。


飴と鞭


精神的・肉体的苦痛も与えつつも、時には優しいところを見せて、継続する。

これがDVです。





◎恋愛関係における、健全・現実的なSMは次のようなカタチではないでしょうか。これはマゾッホの毛皮を着たヴィーナスの作中にも描かれています。

Mが服従したい相手を選び、主人とします。
健全なSMプレイであるためには、主導権を握るのはMでなければなりません。

MはSからの指示や与えてもらうもので快感を得ることが出来れば関係を続けますが、嫌であれば別れを選ぶことができます。


SはMのために快感を与えます。
Mが快感を得ることで喜びを感じられるSは、これを自然に行うことができるでしょう。



例として、経験談をひとつ書きましょう。

いつもなら、選ばないタイプとお付き合いをしたことがあります。

見るからにMであることを感じさせる人でしたが、優しく、丁寧に尽くすタイプなので、ソフトであればSとして演じることができます。

しかし、彼はMです。
ある日、わたしに顔面●●●をせがんだり、縛って欲しいと要求しました。
彼は、わたしをSとして扱おうとしたのです。

その瞬間、わたしは指示される側になったことを、ハッキリと感じました。




・・・たとえ話です。わたしの経験談ではありません。

ご自分の経験からも、想像していただければ身近なものに感じられるのではないかと思います。




S=(従属者)大きな愛情と思いやりで包んで、喜びを与える人

М=(支配者)大きな愛情と思いやりに包まれて、喜びを表現する人


というのが恋愛関係における、健全な、一般論としてのSMではないでしょうか。




似たものにDSというものもあります。


DS

ドミナント(支配嗜好者)=D

サブミッシブ(被支配嗜好者)=S

という、支配し、支配されることで快感が得られる性的嗜好もあります。

ドナミント(SMのSにあたる)はサブミッシブ(SMのMにあたる)が服従したくなるような関係をつくりだし、サブミッシブ的要素を持った人間のその部分を引き出しコントロールしなければ成立し得ません。

その上でドナミントは支配欲を満たし、サブミッシブはドナミントの支配欲を満たすことと自分自身が支配されることで安心を得ます。

支配的な親(愛情表現)と従順な子(従順であることで親に喜んでもらえる、支配されることで責任から解放される安心感)の関係にも似ているかもしれません。

DSの関係は書籍ではのフィフティ・シェイズ・オブ・グレイが有名ですね。映画化されています。


SMと書いてしまえば下卑たものを想像する方もいらっしゃるかと思いますが、実際に成立したそれは信頼や愛情の結晶と言えるのではないかと思います。



気持ちのない性行為は気楽ですが、本質的ではないのです。


性愛の技巧は、愛情・情熱に比例します。
好きな相手であれば、自然と相手の心や体を丁寧に手入れするような行為になるものです。



自分の側にしか気持ちの無い状態では、寂しく、辛くなり、

相手側にだけ気持ちがある場合は、肉体としての快感は大きかったとしても、心からの快感を得ることは出来ないでしょう。


性行為への罪悪感や、コンプレックスが行為の妨げになることがありますが、パートナーの心理的な妨げをなくす手伝いができるのも、そのような関係にある相手です。



お互いが恋い慕い合い、自然と性の技巧を尽くし合うことができる相手との性愛が至高なのではないかと思います。