SMを軸にして、気持ちの良いセックスについて纏めます。

前回は、下ネタについて書きました。
今回は、セックスについて書いていこうと思います。



先日、SNSでのやり取りで、Sか、Mか、というような話になりました。

S・Mは、性の話題としては、いちばん口にしやすい単語のようで、その単語は普段下ネタを言わない方からも聞くことができます。


今回は、SMを軸として、【気持ちの良いセックスとは?】という問いへの答えを書いていきたいと思います。

Sとは、もともとはSM行為を行っていたとされ、嗜虐性向の強い小説家である、マルキ・ド・サドの名前が由来であり、Mとは、レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホという作家の小説と嗜好を元にした単語です。

SMについての文学作品に興味をお持ちの方には、マゾッホの【毛皮を着たヴィーナス】と、谷崎潤一郎の【痴人の愛】を読んでいただきたいと思います。


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この、S・Mの解釈は人によって違いがあり、また、関係によっても多岐にわたるので、恋愛関係においてのSMについて、わたしなりの見解を書きます。


精神的S・M

精神的に、苦痛を与えて快感を覚えるS
精神的に、苦痛を与えられて快感を覚えるM

肉体的S・M

肉体的に、苦痛を与えて快感を覚えるS
肉体的に、苦痛を与えられて快感を覚えるM

S・Mと一言で表してしまうと、だいたいは、受け取る側の性的嗜好やイメージにより、発した側の思うS・Mとは違う形で解釈されるでしょう。精神的S・Mと、肉体的S・Mの割合、度合いはさまざまです。


S・Mを結び合わせてみましょう。

S→M

Sが、精神的に苦痛を与える→Mは、快感を得る
Sが、肉体的に苦痛を与える→Mは、快感を得る


Sが精神的苦痛を感じさせようとしても、Mは結果的に喜んでしまいます。

これではSにとっては、ただの、SMごっこです。

Mは、相手に喜ばれるために苦痛を与えられ、喜んでもらえたことに快感を得ているか、自分の欲求を満たされて快感を得ています。


Sは、純粋な苦痛を与えることが出来ないため、快感を覚えることはできません。

しかし、Sが快感を得るために、喜びの無い精神的・肉体的苦痛を相手に感じさせてしまっては、恋愛関係は成立しません。場合によっては、犯罪となるでしょう。

これを成立させるために、わたしが思いつく限りではひとつ、このような方法があります。


飴と鞭。
精神的・肉体的苦痛も与えつつも、時には優しいところを見せて、継続する。

これが、DVです。


◎恋愛関係における、健全・現実的なSMはこうです。

Mが、服従したい相手を選び、主人とします。
健全なSMプレイであるためには、主導権を握るのは、Mでなければなりません。

Mは、Sからの指示や、与えてもらうもので快感を得ることが出来れば、関係を続けますが、嫌であれば別れを選ぶことができます。

Sは、Mのために、快感を与えます。
Mが快感を得ることで、喜びを感じられるSは、これを自然に行うことができるでしょう。



例として、経験談を、ひとつ書きましょう。

いつもなら、選ばないタイプとお付き合いをしたことがあります。

見るからにMであることを感じさせる人でしたが、優しく、丁寧に尽くすタイプなので、ソフトであれば、Sとして演じることができます。

しかし、彼はMです。
ある日、わたしに、顔面●●●をせがんだり、縛って欲しいと要求しました。
彼は、わたしをSとして扱おうとしたのです。

その瞬間、わたしは、指示される側になったことを、ハッキリと感じました。




・・・わたしの経験談ではありません。

ご自分の経験からも、想像していただければと思います。



S・Mについて書いてきました。



S=(従属者)大きな愛情と思いやりで包んで、喜びを与える人。
М=(支配者)大きな愛情と思いやりに包まれて、喜びを表現する人。


というのが、恋愛関係における、健全な、一般論としてのSMではないでしょうか。


この考え方は、DSの方が近いかもしれません。


DS:ドミナント(支配嗜好者)、サブミッシブ(被支配嗜好者)という、支配し、支配されることで快感が得られる性的嗜好もあります。


SMと書いてしまえば、下卑たものを想像する方もいらっしゃるかと思いますが、実際に成立したそれは、信頼や愛情の結晶と言えるのではないかと思います。



気持ちのない性行為は、気楽ですが、本質的ではないのです。


性愛の技巧は、愛情・情熱に比例します。
好きな相手であれば、自然と、相手の体を丁寧に手入れするような行為になるものです。



自分の側にしか気持ちの無い状態では、寂しく、辛くなり、

相手側にだけ気持ちがある場合は、肉体としての快感は大きかったとしても、心からの快感を得ることは出来ないでしょう。



お互いが恋い慕い合い、自然と性の技巧を尽くし合うことができる相手との性愛が至高なのではないかと思います。


また、性行為への罪悪感や、コンプレックスが行為の妨げになることがありますが、パートナーの、心理的な妨げをなくす手伝いができるのも、そのような関係にある相手です。
大きな愛情と思いやりで、安心してもらうことが大切です。